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「前しか向かねえ~私のがん闘病記(前)」

 

営業部長 榊原憲道

 

私は、2013年12月6日から2014年2月21日まで病院に入院していました。

病名は「上咽頭癌」、「ステージⅢ」でした。

この入院生活を記したいと思います。

ちょっと長くなりますが、前、後篇に分けてお伝えします。

読者の皆様にお役に立てればと考えます。

お気づきと思いますが、題名はAKB48の新曲からです。こんな気持ちということです。

 

 きっかけは2013年5月、仕事中のミーティングで

右から話しかけられる人の声が聞こえなかったのです。

当時、著名なミュージシャンが「突発性難聴」を発症したと報じられた時期、

早めの治療が必要かと、自宅近くの耳鼻咽喉科に駆け込みました。

すると診断は「滲出性中耳炎」とのこと。

多くは子供が罹患する病気で、口の悪い友人からは

「50歳近くなって滲出性中耳炎か」とからかわれたものでした。

 

 中耳炎の治療をしていたのですが、

10月になっても「完治」はしませんでした。

自宅近くの耳鼻咽喉科の医師が「完治しないのはポリープの可能性も考えられる。

紹介状を書くので、大学病院で調べてもらっては」と言います。

 

 一抹の不安を抱きながら、10月31日に大学病院へ。

とはいえ、このときは「ポリープならとればいいんでしょ」ぐらいな感じでした。

診察ではリンパ節を触診され、内視鏡で鼻の奥を見られました(これが痛い)。

先生(若い女医さんでした)から

「ポリープの組織をとって検査にまわします。あと大至急CTをとってもらいます」

「組織から癌細胞が見つかれば癌です」とあっさりと。

電子カルテの悪いところですねえ。先生のPCの画面には

「上咽頭癌」(疑い)の文字。。。

 

 ただ、精神的にはここから次の診察(11月12日)までがつらかったですね。

「癌だったらどうしよう」って悪いほうにしか考えなくて。

 

 11月12日、次の診察は予約票の紙に「耳鼻咽喉科腫瘍外来」とあります。

「『腫瘍』前提じゃん」って思いましたけど。

予約票にある医師の名前は後でネットで調べたら頭頸部腫瘍の分野では

日本でトップクラスの人なのがわかりました。

 

 担当の先生は前回と違い、若い男性。この人が入院後も「主治医」になるのです。

簡単な触診(リンパ節)の後、「検査の結果、癌細胞が見つかりました」とあっさりと。

癌告知ってテレビドラマみたくもっと仰々しいものかと思っていたんですが。

心の整理もつかぬまま、会話は続きます。

先生から「ただこの段階で見つかってよかったですね」との言葉。

さらに「2カ月ぐらいの入院ですかねえ」と言うので

「12月1月つぶれるのを覚悟しないとダメですか」と聞くと

「そのくらいは覚悟されたほうが」とのこと。

要は「すぐに入院しなさい」ってことですね。

 

 3日後の11月15日。PET-CT検査です。ブドウ糖を注射し、1時間休憩します。

頭と腕を固定し、ベッドで寝て、放射線をあて、撮影します。

このPET検査が癌を見つけるのは最も効果的だそうですね。

担当の先生から「次回は同居の家族をつれてこい」と言われます。

「同居の家族って80歳過ぎの母親ですが」と抵抗するも

「ご一緒に願います」と一蹴されます(苦笑)。

 

 11月19日、担当する先生から説明です。

「上咽頭癌はなかなか見つからないこともあり、

ステージⅠ、Ⅱで見つかることはない。

今回、リンパ節に転移が見つかったので、ステージⅢです。

上咽頭は放射線が効きやすいこともあり、

放射線治療と抗がん剤治療を合わせる形で、

2か月ほど入院していただいて治療を進めます。

いち早く治療を始めたほうがいいんですが、

放射線治療の計画を放射線科とたてるので、

入院は12月頭でしょうか。」とのこと。

治療後は歯を抜けなくなるので、筆者が通っている歯医者に紹介状。

さらにセカンドオピニオンを勧められ、その先生あてへも紹介状。

(一応、自分もセカンドオピニオンの病院を探しておきましたが)

以上、二通もたされます。

 

 ここから仕事の引継ぎやら、

セカンドオピニオンの手配やら、入院準備やら、

さらに実は大学時代のゼミの指導教授から

同窓会の幹事を頼まれていたので、入院中の不在につき、

引継ぎに忙殺されることになります。

これは筆者自身も非常に楽しみしていたイベント。

2月22日の開催を自分で決めたんですが、

「12月頭から2か月入院」と言われると

「出席は微妙かなあ」と思い始めます。

 

 11月26日にMRI検査を受けます。

ここで「セカンドオピニオン次第だが、

放射線治療の計画を考えると、12月6日入院がほぼ確定」と言われます。

12月2日には癌治療に定評のある東京都心部の病院にセカンドオピニオンを受診します。

セカンドオピニオンの先生も著名な方なのですが

「(かかっている大学病院は)上咽頭癌の治療で実績もあり、

ご自宅も近いからお勧めですよ」と。

 

 12月3日、再び耳鼻咽喉科腫瘍外来。

「セカンドオピニオンも受けましたが、こちらにお世話になります」

と筆者が言って、12月6日入院が決定します。

細かい説明が看護師さんからあって、「12月6日、午後1時半お待ちしてます」と。

信頼できそうでしたし、これを機会に癌と闘おうと決意したわけです。

 

 12月5日、放射線科で放射線治療のための、マスクをつくります。

放射線治療の治療中&治療後、「モノの味がしなくなる。

喉の痛みで味の濃いモノなどが食べられない」などの副作用の説明があり、

馬に食わせるほどの「同意書」へのサインには辟易します。。。

この続き「入院篇」は怒涛の後篇に。お楽しみに。

To be continued

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